陰性感情を持ったときこそナラティヴを捉える
相手が〇〇をしてくれなかった,なんで〇〇しちゃうんだ,あの人は何でそんなことを言うんだと負の感情を持ったとき,実はチャンスと思っている.
世直し大明神的な人は世の中に多いけれど,愚痴を言ったり,あるいは相手を誹謗中傷したり拒絶したりしても,何も解決しない.愚痴をこぼしたい気持ちもわかるし自分もついやってしまうが,それではストレス解消なだけである.それどころか,そのストレスは愚痴をこぼすことによって誰かに伝染する.争っても泥沼化するだけだろう.
人は簡単に変わらないものだから,アドラー心理学的にまず自分の中での捉え方を変えたほうが解決への道が開ける.自分の思考で理解できないことをシャットアウトして切り捨てるのは簡単だが,ここはぜひ相手のナラティヴを掘り下げたい.自分が見えていなかったものが見えてきて,なーんだそういうことかと納得したりすることも少なくない.もちろん,変わらないものもある.絶望かもしれない.でも,だからといって愚痴をこぼしたり正面から攻撃をしたら,解決するのか.自分の思い通りにことが進むのか.相手を屈服させられるのか.それですべての人が幸せになるのか.
それに気付いたのが,東京北医療センター総合診療科と生協浮間診療所で行っている病診連携カンファレンス「UKカンファレンス」である.ここにある対話は,互いに知らないがゆえに起こるネガティヴな感情を解消するのに非常に有益である.相手のナラティヴに自分のナラティヴ.生まれた環境も育った環境も異なれば,価値観が異なるのは当然である.対話することでいろいろ見えてくるので,そこからどうしたらいいか,アイディアも生まれてくる.議論は相手を非難するようなことはせずに,常に前向きに建設的に行う.そういうことが双方の参加者ともに自然に出来ているのは,われわれが総合診療/家庭医療を専門にしていて,そういうことに長けているからかもしれない.
要は自分の捉え方である.そして,そこから何ができるのか.
(利尻島 龍神の岩にて,2011/7/9撮影)