Family Medicine in Hospitalという生き方
新しく立ち上げる「内科総合診療科」に誘われたのが,私の総合診療との初めての出会いである.医師5年目のことだ.「総合診療」という言葉が出始めた頃で,字面から何となく「全部診るの,カッコイイ」と感じていた.ちょうど,臓器別診療科のカンファレンスでの議論が該当領域の疾患ばかりで,専門外の疾患の管理が放置されていることに違和感を覚えていたから,所属名から「内科」を取り払いたいと思った.しかし,それまで内科診療にしか従事していなかった私に,すぐ他の領域の診療ができるわけもない.ひとまず,院内で求められていた内科領域の診療能力のトレーニングに力を注ぐことにした.いかんせん部長と私だけの診療科だったから,部長の専門領域についてはしっかりと指導を受けたが,それ以外は独学で学ぶしかなかった.
5年が経ち,将来父の診療所を継ぐのなら内科領域以外の研修が必要だと考え,いまの病院に移った.診療科名は念願の「総合診療科」.しかしその頃から,折に触れてこう尋ねられるようになった.「総合診療科って総合内科と違うんですか?」と.「内科以外の領域も診療することです」と答えるも,「私は内科医ですが,整形的なことも皮膚科的なことも診ていますよ」と切り返され,言葉に窮した.また,「何でも診る診療科です」と診療領域で定義すると,「あぁ,他の診療科が診たがらない患者を引き受けてくれる科ですよね?」と皮肉交じりに言われ,もやもやが募るばかりだった.
その後,SNSや日本プライマリ・ケア連合学会で知り合った家庭医の先生方と議論を重ねるうちに,自分が日常診療で重視していたことの多くが家庭医療の理論的背景に基づいていることがわかった.とりわけ,私が得意とするEvidence-Based Medicineの考え方はそれに親和性が高かった.そして,日本の家庭医療の理論的支柱である藤沼康樹先生と岡田唯男先生との3人での議論が,私の総合診療の捉え方を確固たるものにした.なるほど総合診療とは,家庭医療の理論に基づいて患者と自らの置かれた場を診る診療科なのだ.
今でも忘れないのが藤沼先生の言葉だ.「総合診療科の英訳がDepartment of General Medicineなのは良くないですよ,Department of Family Medicineが適切です」.衝撃だった.それまでFamily Medicineは診療所家庭医療と思い込んでいたが,確かに病院で総合診療を実践する際には家庭医療の理論に基づくのだから,その方がしっくり来る.米国では,General Internal Medicine (GIM)は病院の外来部門の診療しか行わず,Hospitalistは入院患者を専門に診る病棟医である.外来も行うHospitalistという意味の日本版Hospitalistは,どちらかというと総合内科である.総合内科は内科のサブスペシャリティを横断的に診療するが,疾患のマネジメントに主眼を置く.そのため,特に各サブスペシャリティから出向してきた「寄せ集め総合内科集団」であると,各サブスペシャリティの隙間に落ち込む患者のケアができなくなってしまう.一方,われわれ総合診療は患者の生活背景や,家族,地域,患者自身の人生の側面を重視するので,Family Medicineなら,家庭医療の理論を基盤とすることが明確である.米国でもFamily Medicineが病棟を持ち入院診療を行っている.特に,内科や救急などとは別の独立した診療科(divisionではなくdepartment)として院内に存在する点が重要だ.
病院に総合診療部門が存在する意義は,地域医療におけるハブ機能にある.地域の診療所や病院からの紹介窓口が一本化できれば,どこの診療科にかかればよいか迷うこともない.院内での診療科同士のつなぎ役も担うことができる.患者が自宅に帰ってからの生活に支障がないように,入院中からマネジメントすることができる.
総合診療をするにしても何か専門を持ったほうがいい,という声をよく聞く.裏を返せば,総合診療は専門ではないというわけだが,それは正しくない.総合診療は患者全体を診るのが専門であって,内科とは異なりサブスペシャリティを持たない.例えば,消化器を専門に持つ総合診療医など存在しない.総合診療医のプラスアルファは,専門ではなく,特に興味のあるものをスペシャル・インタレストとして持っているということだ.スペシャル・インタレストは臓器別の特定の分野ではなく,小児領域,女性医療,救急,集中治療,在宅診療,臨床推論,動機づけ面接,漢方,EBM,臨床研究,臨床倫理などといった横断的カリキュラムである.あくまでも専門は総合診療であり,全体として扱うことを基本とするのが,exclusiveな概念であるサブスペシャリティを持つ臓器別専門とは根本的に異なるところだ.
総合診療医は,「場」のニーズに合わせて自らの姿かたちを変える,カメレオンのような存在である.ここでのニーズとは,該当地域においてエビデンスに基づいて必要とされている,真のニーズである.そして「場」とは,その地域にある病院であり,診療所であり,在宅であるが,どのような場所であれ家庭医療の理論に基づくことには変わりない.だから,病院の総合診療科は「Department of Family Medicine in Hospital」なのだ.病院で家庭医療を実践し,教育を行う.まだ公式に名乗ることはできていないが,これが私の生きる道である.
注1)本エントリーは,メディカル・プリンシプル社ドクターズマガジン2018年5月号(Vol.223)の「目からウロコ」に寄稿した同名タイトルのコラムの字数削減前の原稿である.同社の許諾を得て掲載している.
注2)友人の米国ネイティヴ医師に聞いたところ,「Family Medicine in Hospital」は表現としてあまり自然でなく,「Hospital Family Medicine」の方がしっくり来るのではないかとの回答を得た.また,議論の中で「Family medicine hospital service」という案も出たが,いかんせん米英にはない概念であるために適切な英訳がなく,日本語で「病院総合診療医」と言うしかないという意見もあった.
注3)「総合診療,家庭医療を担う医師」の用語の整理については,メディカル・サイエンス・インターナショナル「Hospitalist」2013年Vol.1 No.1に掲載されている岡田唯男先生の「家庭医,General Practitioner,プライマリケア医,ジェネラリストとは その定義から見えてくるもの」にわかりやすく解説されているので参照のこと.
注4)米国ネイティヴ医師によると,「Hospitalist」は基本的には非教育病院(non-academic hospital)にいる医師であり,そういった病院には研修医がいないので,各診療科の医師をサポートする(例えば,手術中の外科医に代わり入院中の病棟の患者の診療を行う)ものである.なにか専門を持つ医師がリタイア後に担当することが多く,「Hospitalist」自体にresidency programがあるわけではない(fellowshipと追加資格はあるが).そういう意味で,「日本版Hospitalist」という「専門」は私達が育てようとしているものとは異なるという意味で違和感を抱く.
(静岡県富士市を走行中の東海道新幹線車窓からの富士山,2015/1/25撮影)
ブログ記事を興味深く拝見させていただきました。
米国でホスピタリストをしている野木と言います。
私が勤務している州に限ったことでしかコメントできないので恐縮ですが、私見を述べさせてください。
確かにホスピタリストのレジデンシープログラムはないのですが、内科レジデンシーを修了した時点でホスピタリストとして就職することが多い点では、内科レジデンシーの3年間の到達目標の一つが独立診療できるホスピタリストもしくはプライマリケア医になることを柱としています。
家庭医療(FP)のレジデンシープログラム(同じく3年間)を終了した者もホスピタリスト勤務を希望することはあるのですが、私の施設では家庭医レジデントはホスピタリストとして採用されません。それはFPの3年間における病棟研修の少なさとトレーニングの密度の問題もあるかもしれません。
ゆえに、FPのトレーニングを終えてホスピタリスト勤務を希望する人は、老年医学フェローシップ(1-2年)に進むか、ホスピタリストフェローシップ(2年)に進むという進路を取ることがあります。
私の施設は大学関連の教育病院ですが、ホスピタリストが病棟研修の中心指導医となっており、サブスペシャリティを持つ医師がリタイア後に残ってするというものではありません。
家庭医療の理論はどの医師にも共通して必要なスキルですが、家庭医プログラムでしか習得できないものではなく、内科プログラムの中のサブコンピテンシーとして根付いていると感じるのが、米国での内科研修を受けた私の印象です。
日本ではあまり議論に登場しないのですが、老年医学(Geriatric medicine)の専門医が院内には存在し、先生の記事に記載されているような理念に基づいて診療コンサルトを受けている印象です。我々ホスピタリストも気をつけてはいるのですが、在院日数を短縮するという時間的制約と、診療の場が病棟に限定していることから、退院後の自宅生活や地域生活を支援してフォローするという点では老年医学の先生たちが病棟も外来も見ている点で頼りになります。
家庭医の理論と老年医学の親和性が高いということですかね。
米国ホスピタリストは病棟管理に特化した総合内科医であるがゆえに、あらゆる分野の知識のアップデート、専門医同士の意見の相違を取りまとめ、院内合併症を最小限に抑えて、費用対効果の高いエビデンスに基づいた診療を提供する内科医という自負で勤務していますが、全人的な部分は老年医学の先生たちには敵いません。
野木先生,初めまして.南郷です.コメントありがとうございます.記念すべき初コメントです!(笑)
私は海外留学歴がないので,米国の状況について詳しく教えてくださり,とても良くわかりました.
私が友人の米国ネイティヴ医師に聞いた話では,ホスピタリストは基本的に非教育病院にいる者であり,教育病院にいるようなレジデントが存在しないので,何らかのサブスペシャリティを持つ医師が(自分の専門とは関係なしに)担うもので,リタイア後のキャリアとして行っている人が多いと聞きました.このあたり,州の違いなのかはわかりません.ホスピタリストフェローシップがあるというのは聞きました.
日本で問題になることの1つに,病院と診療所の役割の共通理解がないために起こる,病院入院診療と診療所外来診療の引き継ぎにまつわる不具合があります.これは双方のコミュニケーション不足が大きいのですが,病院に勤務する医師が病院の立場しか知らないこと(それと診療所に勤務する医師が診療所の立場しか知らないこと)がポイントではないかと思っています.したがって,総合診療が,病院だけでなく,診療所や在宅などのさまざまな「場」での修練を必要としていることは,大きな意味を持ちます.それが,病棟管理に特化したホスピタリストという概念からは遠いというのが本エントリーの主旨です.
また,確かに老年医学は家庭医の理論と親和性が高いと思いますし(なんとなくの印象なので,実際のところどうかは私にはわかりませんが),それでいて老年医学は日本ではあまり盛んではありませんが(それ故か,家庭医療の理論に基づいて診療している病院勤務医は多くないです),総合診療は高齢者だけを対象に限定しているのではなく,あらゆる人を診るという点も意識しておく必要があります.総合内科も大人だけ,それも内科疾患だけを対象としていますから,これも立場が異なります.これは,どちらがいい悪いではなく,違いがある,ということです.
この,「限定していない」というところはかなり重要で,日本で総合診療の診療内容を話すと,それはうちの科でもやっている,うちと同じと言われることが多いのですが,個別の診療ではなく,それをすべてやっているのが総合診療医なのです.
南郷先生、返信ありがとうございます。そして申し遅れましたがブログ開設おめでとうございます!わずか数日で400以上のアクセス数はすごいですね。初コメントができて光栄です。この調子でオープンなディスカッションができれば楽しいですね。
おっしゃるように、病棟と外来との連携が不十分だと患者も幸せになりませんし、何より医療過誤が起こる原因になります。米国でもこのあたりのコミュニケーション不足による不具合(多くは服薬内容の重複、変更、追加によるポリファーマシーやフォローアップ計画の不履行ですが)を目にします。
医師側要因への対応策はレジデンシー中に徹底した外来教育や地域開業医に開かれたGrand roundなどを病院が主催することでお互いのやっている現状の共有などでしょうか。私自身も日本では系統だった外来診療教育を受けた経験もないまま、米国留学をしてエビデンスに基づいた外来診療を徹底的に叩き込まれたことが、今のホスピタリストの診療にとても役に立っています。米国では内科クラークシップは総合内科の外来6週間(プライマリケア医が指導)、病棟6週間(ホスピタリストが指導)することで学生時代からお互いの診療の違いを経験します。専門内科は選択科目として選ばない限りありません。この辺り、日本でも導入できればジェネラリストが育つ土壌に繋がりそうです。
医師以外の対応策としては、米国ではAPRNと呼ばれる専門看護師やケースマネージャーが退院後の電話フォローアップなどを担ってくれています。在宅診療は日本の方が普及している印象です。
最近の老年医学は50歳の患者でも対象になりますし、緩和ケアも癌の診断時点から紹介導入されているなど、昔よりも垣根は低くなっているのが米国での実地臨床での印象です。
日本の総合診療、私も離島研修などで経験して今も自分のキャリアのバックボーンになっています。説明は難しいのですが、専門ではない以上、定義は曖昧でいいのかもしれません。あえてもし米国の医師に説明をするならば、私ならば「Rural medicineに近い」「診療の場を特定しないGeneral practitioner」という用語を用いる気がします。
昨今の総合診療医をめぐる定義やトレーニングの議論は非常に興味深く、医療者の熱意を感じます。米国というまた違った医療システムの中で自分が感じることは、「現代医療の進歩による診断と治療技術の進化は凄まじく、あらゆる診療の場で高次元で診療できるスーパーマン的な医師を養成するよりも、多様な職種がそれぞれの責任範囲で権限を増やし進化し、そのチームを取りまとめる一員としての医師を養成する」ことがこれからの姿かな、という印象です。
長文で申し訳ありません。